幼い頃から西洋近代音楽に親しんだが、作曲理論を学んだのは、始めは趣味としてであって、職業としては理論物理学者になるつもりで、東京大学理学部を卒業した。しかし、1946年はじめて作曲した管弦楽曲<管弦楽のための二つの祈り>が毎日・NHK音楽コンクールに入賞し、次第に音楽に深入りし、理学部に続いて東京大学文学部で美学を専攻、卒業した。1951年に渡仏、54年までパリ国立音楽院作曲科で、ダリウス・ミヨー、オリヴィエ・メシアンに師事した。

少年時から最も尊敬していたのはベートーヴェンの音楽で、あのような堅固な構築性をもつ音楽を自らも作ろうと志したが、同時にベートーヴェンの言ったように、音楽は「心から出て心にいたる」ものでなければならず、自らからの心情表白が欠かせないと考えた。

しかしその個性表現については、ヨーロッパ18世紀、19世紀風の長短調に基づかず、大いに半音階的であるにしても、あくまで調性音楽の範囲内にとどまり、12音主義など、20世紀後半の実験には近寄らなかった。そうかといって、民族主義的手法に依存することも少なく、半音階的旋法に基づく構成を多用する。それはフランスで学んだ影響でもあるが、それよりも心の奥深くに根強くある抒情的性格のせいであるようだ。それは、若い頃から多数の歌曲をつくったことにも表れている。その中の一つ<さくら横ちょう>は第二次大戦後の日本の芸術歌曲として最も成功、愛唱されているものの一つになっている。ここに表現されているような抒情とベートーヴェン的構築を結びつけたのが、四つの交響曲、三つの協奏曲、十数曲の室内楽曲、更に三つの歌劇である。歌劇では歌曲で探求された日本語の扱いが、劇的表現の中に生かされている。

■別宮貞雄について■
日本の現代芸術歌曲随一の成功作<さくら横ちょう>の作曲者。大学は物理学科出身なのに、いやそれだからこそ、20世紀後半の難解な前衛音楽の無意味なことを終始一貫主張してきて、歌曲のみならず大規模な交響曲、協奏曲でも美しく歌う音楽を書きつづけてきた。80歳を目前にして老人ホームのひとりぐらしなのに、創作力旺盛、第5交響曲は近作、まさに老人パワーそのまま。一昨年初演したチェロ協奏曲“秋”が名手堤剛によって再演されるが、これは別宮の妻明子が脳梗塞で倒れ、その最後をみまもる傍ら、一生を回顧する思いがこめられた悲痛を極める作品である(倉田輝昭)。