潮流


        日本とともに世界の音楽の潮流を自由な眼で展望するコーナーです。
        音楽批評家、石田一志氏が 隔月で纏めていきます。



石田一志の音楽散歩 第1回

オストラバ・ニュー・ミュージック・デイズとガウデアムス音楽週間


 現代音楽という概念は日本ではもっぱら作品様式に関わるもので音楽史的につまりダイアクロニッ クな文脈で語られる。だから、現代音楽はもう古いとか、現代音楽の時代は、終わったといった発言 が出てくる。しかし、この言葉のなかにシンクロニックなニュアンス、つまり共時的に連動して国際 的に新しい音楽や新しい音楽家たちを育成していこうという文化創造の理念を込めているのが欧米の 現代音楽の推進者たちである。
 昨年10月、横浜みなとみらいで開催された国際現代音楽協会の「世界音楽の日々」にしても第一次大戦 への反省から「美学、国家、民族、宗教、ジェンダー、政治にとらわれることのない現代音楽の創造 と普及」を目的に掲げてきたし、第二次大戦の敵対関係を乗り越えるために始められたドイツのダル ムシュタットの国際夏期現代音楽講習会、冷戦期に東西交渉の窓口として機能した「ワルシャワの秋」など、いずれも国を越えた音楽家たちの出会いの場であり、音楽を通して互いを理解し、新しい音楽の創造に協力し合う場である。その意味では、現代音楽は国際交流のひとつの姿だといってもよい。
 なるほど、今回のアメリカでの数千人もの犠牲者を出したすさまじい同時多発テロなどを前にすれば、こうした音楽交流が無力にも見えてくるかもしれない。しかし、むしろこのような時期にこそ、改めて現代音楽のこのような理念を再確認することが必要ではないかと思うのである。
 このテロ事件の直前まで、筆者はヨーロッパの二つの現代音楽祭に参加していた。チェコのオストラヴァ開かれた「オストラヴァ・ニュー・ミュージュック・デイズ2001」とオランダのアムスルダムで開かれた「ガウデアムス音楽週間」である。どちらも密度の高い国際交流の場であったので報告したい。

 オストラヴァは、ポーランドとの国境近くのネーデル川沿岸に位置するチェコ中北部の北モラヴィア の州都。首都プラハの東370キロで、汽車では4時間半かかる。南西にほぼ等距離行けばウィーンだし、 隣国ポーランドの古都クラコウには車でも一時間強の近さ。交通の要衝であり、シレジア炭田地方に あるチェコ第一の重化学工業都市といわれるが、人口はアムステルダムの半分に満たない35万程度。静かなヨーロッパ田舎町である。ここで「オストラヴァ・ニュー・ミュージック・デイズ2001」という国際現代音楽祭が8月末から9月初めにかけて初めて開催された。チェコの音楽文化圏は、一般にボヘミア地方がスメタナとドヴォルザークの両巨匠で代表され、モラヴィア地方はヤナーチェクが最大 の音楽家ということになる。この地にも1954年に創立され72年以降ヤナーチェク・フィルハーモニーと名乗るオーケストラがあり、1989年に新築なったオストラヴァ・ヤナーチェク音楽院がある。この 音楽祭の発端は、ニューヨークで作曲家兼指揮者として活躍するプラハ出身のピーター・コティック が、このヤナーチェック・フィルと自身がニューヨークに創設したS.E.M.アンサンブルの合同オーケ ストラを指揮して「プラハの春」や「ワルシャワの秋」に出演して空間音楽として知られるシュトッ クハウゼンの3群のオーケストラのための《グルッペン》のチェコ初演などをおこない高い注目を浴び たことに始まる。コティックはヤナーチェク・フィルを中心とする現代音楽祭の可能性を考え、ニュ ーヨークの自分のオフィスとヤナーチェク音楽院に「オストラヴァ現代音楽センター」を設けて国際 現代音楽祭を準備したのだった。

 筆者は、1997年にコティックとS.E.M.アンサンブルを日本に招いて武満徹と譚盾を演奏してもらった ことがあり、今春、ニューヨークに出向いた際に彼からこの音楽祭の話を聞いて参加した。幾つか特 徴のある音楽祭であった。ひとつはオーケストラ曲の初演の多かったこと。現代音楽祭は経済的な理 由と練習日程などから室内楽作品が中心になることが多いのだが、6日間の日程の内、3回もヤナー チェク・フィルの出演があり、15曲中6曲が初演作品であった。コティックに大変ではないのかと聞く と、チェコの物価はとても安く、オーケストラの使用料も安い。加えて、シーズン・オフなので、団 員たちには良いアルバイトなのだ、ということであった。コティックのオケに対する練習の付け方も、 日本では考えられないくらい厳しいものであった。特徴のもうひとつは計32名の若手作曲家たちがレ ジデントあるいは生徒として音楽祭に参加していたことである。アメリカが9名、イギリスとチェコが 4名づつ、ポーランドとスロヴァキアが3名づつ、ハンガリーが2名、そのほかカナダ、フランス、ノル ウェー、フィンランド、ブルガリアなど文字どおり世界各地からで、彼らは音楽院でのワークショッ プに参加したりレクチャーニを聴講したりするわけだが、また作品の発表機会も与えられ、最後に音 楽祭参加証書を与えられた。筆者も音楽院で日本の伝統楽器による現代音楽の話を彼らにおこなった。
 静かな街で一週間現代音楽漬けになった彼らは、本当に皆親密になっていてほほえましいほどであっ た。特徴の第3はプログラムであろう。ハンガリーのクルターク、イタリアのノーノの作品もあったが、 主要な演目はニューヨークの現代音楽で、ケージ、ブラウン、フェルドマン、ウォルフ、ルシエなど。 それにコティック自身とニューヨークでとりわけ評価が高い日本の佐藤聰明作品であった。ゲスト出 演のアルディッチ弦楽四重奏団もヤナーチェクとフェルドマンを演目に入れており、全体にケージ以 降のいわゆる実験音楽が中心に紹介された。日本では重視されフランスやドイツの現代音楽を、どち らかといえば軽視したり、無視したりする傾向は、ヨーロッパの小国や旧社会主義国で開かれる現代 音楽祭に共通する特徴である。おそらく、強力な音楽的伝統を背景に感じさせる仏独の現代音楽より も、そうした伝統を否定して、聴くとか音を発するといった根源的な人間の問題で音楽を考えている ニューヨーク実験派の方が親しみを覚えるということなのかもしれない。今回は新作初演には音楽祭 の委嘱作品であった佐藤聰明の新作《峡谷》も含まれた 。これは英訳による老子のテキストを使った バリトンとオーケストラのための音楽。バリトンにはニューヨークでの現代音楽運動の推進者の一人 として知られるトーマス ・ブックナーが出演。「タオ(道)」の精神を息ながく、清澄に歌い上げた。

 続いてアムステルダムに向かった。この地の現代音楽事情についてはこれまでもいろいろ紹介してき た。またとくに一昨年は日本とオランダの修好400年記念ということで、オランダ関係の各種の催しがあ ったから、比較的身近に感じられている方も多いと思う。この「ガウデアムス音楽週間」は、第二次 大戦直後の1945年に現代音楽の振興のために設立されたガウデアムス財団が1947年から毎年主催して いる音楽祭で、現代をテーマとする音楽祭としてはヨーロッパでも歴史の長い方に入る。音楽祭の全 体構成にはいくつかのテーマがある。なかでも一番の特徴になっているのは35歳以下という年齢制限 を設けて世界の若手作曲家たちの活動支援に力を注いでいることであろう。すなわち、一種の作品コ ンクールとして選出された作品が理想的な状態で演奏される。しかし、コンクールと異なるのは、選ばれた作曲家たちが互いにライバルとして相手を意識するというよりは、むしろ音楽志望を共にする 国を越えた友人たちになるよう、さまざまな工夫がとられているということである。たとえば、この 期間、財団はそれらの作曲家たちをアムステルダムに招聘し、審査員たちを含む全てのゲストたちと 同じ宿を提供し、パーティーを開き、また講師たちの講演を一緒に聴かせ、自作紹介を相互におこな うワークショップが開き、昼夜の演奏会を共ににして、音楽を語り合う機会を与える。今年の審査員 はアメリカのフレデリック・ジェフスキー、ウクライナのウラディミール・タモポルスキー、オラン ダのロデンク・デ・マンで、応募16ヶ国、400作品から、14ヶ国、20曲が彼らによって選ばれ、その 作曲家たちが招聘された。この難関に筆者が玉川大学で教えたことのある今堀拓也君の室内オーケストラ作品「サークル・オブ・タイム」が入選。しかも、最終的にはその音楽の密度と持続力が評価さ れ、ガウデアムス賞を受賞するという嬉しい結果がでた。大学出たてで、パリのエコール・ノルマル での研鑽を予定している彼にとって、この音楽祭は、文字どおり名誉と共に世界の作曲仲間を同時に 得る素晴らしい機会となったはずである。ついでに加えれば、音楽祭に出席していたドナウエッシン ゲン現代音楽祭のディレクターが、今堀君の作品を気に入り、早速、自分の音楽祭でも再演してくれ ることになった。なお、ガウデアムス賞の賞金は10000ギルダ。そして次年度に本人と作品とを招待し てくれる。今年の音楽祭のもうひとつのテーマはロシア現代音楽であった。モスクワとタタールから も思わぬところでの友人たちとの再会の機会となった。もうひとつ嬉しかったのは、現代音楽のスペ シャリストとして今や国際的な評価を得ているアムステルダム在住のピアニスト向井山朋子さんの活 躍ぶりをこの音楽祭の中で改めて間近にすることができたことであった。今回、彼女はジェフスキー 作品を作曲者自身と連弾し、たいへんな喝采を受けていた。

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